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龍馬が崇拝した勝海舟は、外国からの圧力に対抗するため、海軍の重要性を説き、海軍の仕官育成に力を入れました。
文久3年(1863)3月、当事幕府海軍奉行並であった勝海舟は、将軍徳川家茂が船で大阪湾を巡視するのに同行しました。
神戸村に上陸後、海舟は「この村に海軍の仕官育成の機関を建設したい。」と将軍家茂に直談判します。
これが直ちに受け入れられ、同年に「神戸海軍操練所」が設立されることとなりました。
操練所は、幕臣たちが学ぶ場所でしたが、これに隣接して諸藩の志士を集めた「神戸海軍塾(勝塾)」が設けられ、その塾頭が龍馬でした。
この間、海軍塾設立資金の調達のために越前福井藩主松平春嶽を訪ねるなど、龍馬は海舟の手足となって働きました。
しかしその後、倒幕勤王の志士を海舟が育成しているとの噂が広がり、
2年後の慶応元年(1865)に残念ながら海舟更迭とともに神戸海軍操練所は閉鎖されてしまいました。
短い期間でしたが、龍馬が急激に成長していった時期でもあったのです。
明治に入って海軍操練所跡は、外国人居留地に面する税関に変わり、「神戸港」の発展が始まりました。
この神戸の開港、発展のさきがけとなった操練所を記念して、
現在、跡地に重さ10トンにおよぶ錨(いかり)を用いた「神戸海軍操練所跡碑」が立派に建っています。
これは、昭和43年に神戸の経済界や港湾の関係者の方々が、旧軍艦の錨を兵庫県に寄贈し建てられたものです。
しかし、ビル建設工事の理由で平成3年ごろに一時的に撤去され、直ぐに復旧する予定でしたが、
阪神・淡路大震災,経済不況のあおりを受け、長い間撤去されたままになっていました。
そして撤去されてから約10年たった平成13年11月、周辺のビル建設工事完了と共に復活。
その勇姿は、神戸市中央区新港町、国道2号線京橋交差点付近で見ることができます。




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