2008年のNHK大河ドラマ「篤姫」

薩摩から江戸へ輿入れのために向かう途中、篤姫は京都にわずか一週間ではありますが滞在しました。

今回のイベントは、篤姫上洛の一週間と題して史跡巡りをしました。






篤姫

ペリー来航に揺れる幕末の動乱期、わずか一万石余りの島津藩の分家から将軍の正室にまで登りつめた人物です。

薩摩藩分家の今和泉家に生まれ、薩摩藩主島津斉彬の目に留まり、22歳の若さで13代将軍徳川家定の正室となります。

ほどなくして夫・家定が急死、以後は天璋院と名乗り、若き14代将軍家茂の養母として、その妻の和宮とともに大奥を取りまとめました。

戊辰戦争では、西郷隆盛らの新政府軍に働きかけ江戸城の無血開城に大きな役割を果たすなど波乱に満ちた生涯を送りました。







篤姫上洛の一週間

不安な中で、気持ちを新たにした一週間だったと思われる。

京都の伏見藩邸に入り、御台所になるための支援をしてくれる近衛家への訪問、薩摩の菩提寺である東福寺などを訪問した。

行く末の不安のなかこれらの行いにより勇気付けられ、リフレッシュできたのではないかと思われる。



徳川家の方から薩摩へ婚姻の申し込みがあった?

篤姫は、家定正室の第4候補だった?

輿入れ直前に政局が激変!



など、ミステリーな視点も取り入れたイベントとなりました。




明治天皇生誕の地

京都御苑、猿ヶ辻の北側に祐井(さちのい)と呼ばれる井戸を保存した場所があります。

ここは中山邸跡で明治天皇の誕生の地でもあります。




東福寺 即宗院前の「薩摩藩招魂碑」

南北朝のころ、東福寺の住職が島津家菩提の為に即宗院を建立しました。

以後、明治まで島津家の庇護を受け繁栄することとなります。





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